「かつて子どもは猫だった?!」説

「遊び絵地図」で気づく。私たちが子どもだったころ

 

たねの会で運営している冒険はらっぱプレイパークでは一昨年度から毎年『子どもに関わる大人のための連続講座~冒険はらっぱでプレイワークを学ぶ~』をおこなっています。

 

その第1回目に「遊び絵地図」というワークをおこないました。

 

受講者ひとりひとりが自分の子どものころを振り返り、どこでどんなことをして遊んでいたかを簡単な絵地図に描き起こしてみるものです。

 

描き終わったら数人のグループで絵地図を見せ合いながら、どこでどんなことをして遊んでいたかをお互いに話して聞かせます。

 

話をきいてみると、それぞれの人が自分の家を中心に街のあちこちをフィールドに遊び回っていたことがよくわかります。公園や友達の家など今の子どもたちも遊んでいる場所以外にも、路上、空き地…そして本当は入ってはいけないような場所がどれだけ遊び場になっていたことか!!聞いてみるとみなそれぞれの場所でのお気に入りの遊びを持っていたのがとても面白いと思いました。地形やその場所の特性を使って巧みに遊んでいて、その豊かさに驚かされます。

 

近所の畑やよその家の塀の上、大学の跡地や土砂の集積場などなど…かつて子どもたちは本当は入ってはいけないところにもこっそり忍び込み遊んでいたんです。

 

大人の目を盗んでこっそり遊ぶ子どもたち、そしてそんな子どもたちを見つけた大人は「こら!まったく困った悪ガキめ!」と時に叱り飛ばしたしても、それ以上の問題にはならなかったのです。どこもかしこもフェンスだらけで注意看板だらけの昨今とは違って…。

 

所詮、子どもはこっそり忍び込んだ困った猫くらいにしか認識されていなかったんでしょうね。

 

子どもを「小さな大人」として見てない!?

 

それに引きかえ、今、私たちの社会は子どもたちを「小さな大人」として扱いすぎていないでしょうか?「うるさくするな」、「危なっかしいことをするな」と他人に迷惑をかけないことを求め、他愛のない一見ばかばかしいような遊びやふるまいを嫌い、小さな時から何かの目的に沿って、目標に向かって行動する人であることを求めすぎているように思うのです。

 

そしてそのくせ一方では、子どもたちを一人の個人として認めているとは言えない気もします。

 

子どもの時間を大人が良かれと思った予定で埋める。

 

子ども同士のけんかやトラブルを嫌い、子どもたちの間合いでトラブルを解決することを待つことができない…。

 

子どもを一人の「個」として認め、信じ、つらいけれども待つ、ということができないように思います。何か起きるとすぐに親や学校などの管理を求めすぎる風潮、感じないでしょうか?

 

それにしても、遊び絵地図を語る時間のなんと楽しいこと!

 

かつての猫たちは目をキラキラさせながら、自分たちの遊びの記憶を語るのでした。

 

今の子どもたちも20年後、30年後に楽しかった武勇伝を語れるかしら?

 

私たちも街のあちこちでそんなかわいい猫たちを見かけたいなぁと思うのです。

 

 

理事:安田あづさ